2015年1月20日火曜日

越後妻有の小正月

十日町市・新水集落のどんど焼き体験。
道楽神とハネッケーシ。





















2015年1月4日日曜日

"ふるさと あしたへ" 四国のこと


四国は、若年層の流出などで、人口減と高齢化が全国平均より10年以上早く進んでいる。顕在化した過疎などの現状は、他の地域にとって将来の姿でもある。

"読売新聞 関西版 2015年1月1日朝刊"より

2015年1月3日土曜日

ジーンズのまち児島

Kojima in Okayama is a small town for Japan-made jeans.

倉敷市の南端・瀬戸大橋の袂にある人口7万人の地方都市、児島。
ジーンズを中心とする繊維産業で町おこし。

















本紙『風と海とジーンズ。』はその地場産業である繊維産業のプロモーションを目的として2010年にスタートした。
ジーンズストリート構想は<ジャパンブルー・グループ>代表で現児島ジーンズストリート推進協議会会長の真鍋寿男氏が2009年に打ち出したもの。当時、ストリートには旧野崎家住宅そばに<桃太郎ジーンズ>と<ダニアジャパン>があるのみだった。
2009年の夏、児島商工会議所内に推進協議会を発足させた。9月には味野商店街の総会に出席してストリートの構想を説明し、賛同を得ることができた。しかしそこから始まるジーンズストリートへの誘致活動は易しいものではなかった。真鍋氏は一軒一軒を説得して回ったが、反応はそっけないものだった。もともとビジネルにしわい土地柄である。しかも、これまで児島のメーカーや関連業者には、地元で直販をするという発想がなかった。加えて空き店舗との交渉にも難しさがあった。
それでも地道な説得により2011年には5店舗の出店にこぎつけた。
「2010年、2011年あたり、ジーンズストリートに来てくれた観光客はがっかりして帰ったことと思います。こちらも残念な思いですよ。これまでその繰り返しです」
「いまでは売り上げも各店舗順調に伸びていると思います。出店者のメリットも大きくなっています。ジーンズストリートへの観光客は何か買おうと思ってやって来るので、購買率が極めて高い。だから、ここでは無名のブランドでも売れる。新しいブランドを起こそうという若い人たちには、非常に大きなメリットだと思います」
2013年には出店希望者側が店舗の空きを待つという状態に逆転し、2014年9月現在は空き待ちが8店舗にまでなっているという。
現在ジーンズストリートには年間5〜6万人が訪れている。その数字を3年後には30万人、5年後には100万人に到達させたいと真鍋氏は言う。ちなみに、倉敷美観地区の観光客数は年間323万人(2012年度)。 
「<工(生産)>が<商(販売)>に移ってきているのが昨今の児島です。でも、<工>がおろそrかになり<商>ばかりになると町の魅力が半減する。そこはバランスが大切です。そして、ひとつところだけでなく、数カ所を回遊できる街にする。これが児島という街をもっとも魅力的にする方法だと思っています」-ベティスミス大島康弘社長

"風と海とジーンズ。 児島スタンダード号 (平成26年10月1日発行)"より抜粋 
 
 
 
 

 






2015年1月1日木曜日

宇多津 古街の家

瀬戸大橋の袂の小さな町、香川県宇多津町にある、
アレックス・カー監修の古民家ステイ。